不妊治療をはじめて1年8ヶ月(42歳)で思うこと。
はじめての体外受精が化学的流産に終わり、
2度目の体外受精は着床のみに終わり、
3度目の体外受精は9週目で稽留流産になってしまいました。
それでも、子供が欲しい。
次は頑張ろう。
悲しみを堪えて、いつも明るく振舞っていました。
そんな時、ふと、主人が言いました。
「ごめん。
もっと早く、体外受精していれば良かった
俺がなかなか踏み切れずにいたから…」 と。
主人の後悔が詰った言葉でした。
不妊専門クリニックを訪れ、検査で分かったことは、
卵管造影検査で私が右側の卵管が閉塞していたこと。
そして、主人の精液検査で精子運動率が低い精子無力症であること。
その時点で、既に先生は「体外受精」をすすめていました。
私も「年齢的にすぐに体外受精した方がいいと思う」と主人に言いました。
しかし、不妊クリニックへ行ってまだ1ヵ月も経っていない頃です。
主人は体外受精なんて全く考えてもいなかったようで、かなり驚いていました。
そして、自分が男性不妊であることにも驚いていました。
精子運動率が低く、精子無力症と言われても、体外授精まではしなくて大丈夫
だろうと考えていたようです。
先生も強制的に体外受精はすすめません。
まずはタイミング療法。
そして、人工授精へとすすみました。
2度の人工授精の後、私は主人に聞きました。
「次は体外受精、考えてみない?」と。
人工授精が2度ダメだった結果、聞いてみたのです。
それでも、主人は首を縦に振りません。
「いや…もう1回、人工授精してみよう」との返事。
もう一度人工授精を受けると、また体外受精を受けるのが遅くなってしまう。
私には焦りがありました。
体外授精がどんなものだけでも知ってほしい!
「体外受精を受けるかどうかは別にして、体外受精セミナーに参加しようよ」
と提案しました。
主人の言うとおり3度目の人工授精を受けましたが、妊娠には至らず。
その後、体外受精セミナーに参加して、主人の気持ちに変化が生まれました。
そして、はじめての体外受精を受けることになったのです。
それでも、主人は体外受精をすることに、かなり抵抗があったと思います。
あれから色んなことがありました。
やっと授かった命と決別しなければならない流産という試練。
自分たちの年齢で妊娠することがいかに大変かという現実。
1年8ヶ月が過ぎた今、主人は改めて思ったのだと思います。
「ごめん。
もっと早く、体外受精していれば良かった」
私が「次は体外受精、考えてみない?」と言ったとき、すぐに体外受精をしてれば、
人工授精の4ヶ月をムダにせずに済んだのにと頭を下げるのです。
ごめん、ごめん…と何度も。
私だって、体外受精までは考えてもいませんでした。
現実を受け入れるのが少しだけ私の方が早かっただけのことです。
この年なのだから、4ヶ月くらいもう同じです!
今という時間を大切にしよう。
次は凍結胚移植です。
これからも二人で頑張ろう。
天国へ旅立った赤ちゃんのためにも、前を向こう。
空が見える窓際の明るい場所、お地蔵様が微笑んでいます。