何で流産手術? 私、何でこんなとこにいるだろ…
不妊クリニック卒業!と信じていただけに、ショックは大きすぎました。
出血や腹痛など、流産の兆候は全くなし。
前回、稽留流産した時とは違うことが希望でした。
けれど、不妊クリニック卒業の日にまさかの稽留流産。
しかも、翌日に流産手術が決定。
展開の速さに、戸惑いと悲しみで頭が混乱していました。
2度目の稽留流産手術の日。
部屋で待つ私の顔を見た看護師さんは驚きの声をあげました。
「えぇっ?!」
妊娠7週目に“おめでとう!来週は卒業ですよ”と喜んで下さった方でした。
「また、稽留流産しちゃいました」
そう話すのが精一杯。
手術室へ入り、準備が始まりました。
右手に点滴、左手に血圧…
「先週、卒業だねって言ってたのにね」
看護師さんの言葉にうなづいた瞬間、堪えていた涙が…
「昨日、卒業するはずだったんです。
なのに、私、何でこんなとこにいるんだろ…」
私は手術台の上。
こんなところにいるはずじゃなかったのに。
産婦人科に転院する予定だったのに。
点滴と血圧で両手が動かせない私。
看護師さんはティッシュで何度も何度も涙を拭ってくださいました。
涙目のまま、麻酔が入り、意識は消えていきました。
42歳の不妊治療は無謀なの?諦めるべきか続けるべきか
目が覚めると安静室のベッドの上。
昨日の朝は卒業だぁ!って、嬉しさ全開だったのに。
たった24時間後、もうお腹に赤ちゃんはいない。
手術が終わっても、それが信じられなくて、受け入れられなくて。
自宅に帰ると、机の上には買ったばかりのマタニティダイアリー。
中は真っ白のまま。
このまま、真っ白なままだったらどうしよう。
2度目の稽留流産。
もしかしたら、3度目の稽留流産があるかもしれない。
このブログを通し、「一緒に頑張りましょう!」と励ましを頂く反面、
「諦めた方がいい」といった内容のコメントも届いています。
超高齢であること、自分たちの体のこと、授かってからの生活など
考えることはたくさんあります。
42歳で子供が欲しいなんて、世間一般から見たら無謀なのかと思い知ら
されるコメントもありました。
それでもまだ諦められない自分がいます。
ここで諦めたら、一生、我が子には会えない。
ただ、これ以上はダメだと感じたら、きっぱり治療は止めるつもりです。
だから、頑張れるうちは、頑張りたいのです。
夫婦でじっくり考えて進んで行くつもりです。
また…流産手術直後に残酷なメールが届いた
従妹のTちゃんからメールが届いた。
流産手術直後の私に出産報告メールが届いた。
「無事に産まれました!女の子(^-^) 3365グラム♪
こっち帰ってきたら会ってやってなぁ」
前回の稽留流産の時に、オメデタメールを送ってきたTちゃん。
そっか、あの時5ヶ月だった赤ちゃん、もう産まれたんだ。
おめでと。
私は稽留流産が確定し、流産手術。
その後、3ヶ月後に体外受精4度目で妊娠し、また妊娠9週で稽留流産。
私が妊娠→流産を繰り返していた間に、すくすく育っていたんだね。
しかし、またも流産直後にメールって… タイミング悪すぎ。
産まれたばかりの赤ちゃんはスヤスヤ眠っている写真。
無事に産まれたことはとても嬉しいこと、おめでたいこと。
だけど、すぐにおめでとうメールを返せない私がいました。
私、稽留流産の流産手術を受けたばかりなんだ。
そんなことなど知らない彼女は喜びいっぱいのメール。
40代の私が産みたいとは思ってもいないのでしょう。
当然と言えば、当然のこと。
私は嫉妬していました。
努力しても私には授からないのに。
デキ婚…いいなぁって。
でもね、いつか私も送る!
「産まれたよ~♪」メールを。